御手洗(広島県)
江戸時代に西回り航路ができたことで北前船の往来が増え、御手洗は「潮待ち・風待ち」の港として賑わい、諸国の廻船を相手の中継貿易が盛んにおこなわれた。
人が多く立ち寄る場所には遊里ができるものだが、御手洗の場合は日没が近づくと「おちょろ舟」と呼ばれる小型の舟に「べっぴんさん」と呼ばれる遊女たちが乗り込み、繋留中の船に漕ぎ出す。
船上で交渉が行われ、船乗りたちは港近くのお茶屋に連れられ、一夜の旅愁に浸ったといわれる。
御手洗には江戸時代から近代にかけての古い街並みが残され、江戸時代のお茶屋跡とみられる建物も存在する。
海鼠壁の町家や洋風建築が混在する町並みは、かつての瀬戸内海の交易・文化の変遷を表すものとして貴重である。
(2012.07)